2008年06月23日
奈良ガイド 世界遺産 奈良周辺4
□唐招提寺
唐の高僧鑑真和上が聖武天皇に招かれ、12年もの間、幾度にも及ぶ苦難の末に来日を果たしたのち、天平宝字3(759)年、新田部親王の旧邸を賜り受け創建。奈良の大寺のほとんどが勅願による官寺であるのに対し、この寺は鑑真和上発願による私院であることが特徴。
境内には金堂、講堂、宝蔵、鼓楼(いずれも国宝)をはじめとする伽藍が立ち並んでいる。これらは、朝廷などの寄進により徐々に整えられていったもので、現在でも創建時の姿を伺い知ることができる。
また、天平彫刻の傑作も数多く安置されている。なかでも御影堂の鑑真和上像(国宝)は、わが国に現存する最古の肖像彫刻で、晩年をむかえた鑑真和上の深い精神性を感じさせる。開山堂前には、和上像に対面して芭蕉が詠んだ「若葉して御目の雫拭はばや」の句碑が立てられている。
わが国に残る最大の天平建築である金堂(国宝)は、平成12年から約10年をかけて本格的な解体修理が行われている。
□平城宮跡
和銅3年(710)に藤原京より遷都された平城京の中心であった宮跡。併設されている平城宮跡資料館・遺構展示館では、多数の出土品の展示や遺構が発掘されたままの状態で公開されています。
平成10年に復元された「朱雀門」も見所です。
唐の高僧鑑真和上が聖武天皇に招かれ、12年もの間、幾度にも及ぶ苦難の末に来日を果たしたのち、天平宝字3(759)年、新田部親王の旧邸を賜り受け創建。奈良の大寺のほとんどが勅願による官寺であるのに対し、この寺は鑑真和上発願による私院であることが特徴。
境内には金堂、講堂、宝蔵、鼓楼(いずれも国宝)をはじめとする伽藍が立ち並んでいる。これらは、朝廷などの寄進により徐々に整えられていったもので、現在でも創建時の姿を伺い知ることができる。
また、天平彫刻の傑作も数多く安置されている。なかでも御影堂の鑑真和上像(国宝)は、わが国に現存する最古の肖像彫刻で、晩年をむかえた鑑真和上の深い精神性を感じさせる。開山堂前には、和上像に対面して芭蕉が詠んだ「若葉して御目の雫拭はばや」の句碑が立てられている。
わが国に残る最大の天平建築である金堂(国宝)は、平成12年から約10年をかけて本格的な解体修理が行われている。
□平城宮跡
和銅3年(710)に藤原京より遷都された平城京の中心であった宮跡。併設されている平城宮跡資料館・遺構展示館では、多数の出土品の展示や遺構が発掘されたままの状態で公開されています。
平成10年に復元された「朱雀門」も見所です。
2008年06月22日
奈良ガイド 世界遺産 奈良周辺3
□元興寺
蘇我馬子が建立したといわれる日本最古の寺院、飛鳥寺(法興寺)がその前身といわれている。かつては、南都七大寺の一つとして奈良市街の南西部を境内とする広大な寺院だったが、現在は極楽坊本堂と禅室を残すのみとなっている。本堂と禅室には建立当初の瓦が今もなお使われている。禅堂は天平時代の僧坊の形をとどめる貴重な遺構。収蔵庫には五重小塔(国宝)や聖徳太子坐像(重要文化財)を安置。中世〜江戸期の貴重な庶民信仰資料なども収蔵されており、中世以降庶民に支えられてきた歴史を物語る。
□薬師寺
天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を願い造営が始められ、藤原京に完成。平城遷都に伴い、養老2(718)年、現在地に移築されたと伝わる。
奈良移転当初は金堂、東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、「竜宮造り」と呼ばれるほどの華麗さを誇ったこの寺も、16世紀に兵火に焼かれて灰となり、東塔(国宝)を残すのみとなった。創建当時の唯一の遺構である東塔は、現在に白鳳時代の様式を伝えている。
現在、伽藍復興により、昭和51年の金堂に始まり、昭和56年に西塔が、以後、中門、回廊などの白鳳伽藍が次々と再建されている。朱塗りの欄干、金色に輝く鴟尾などからは、建立当時の華やかさを窺い知ることができる。
寺宝としては吉祥天女画像や薬師三尊像などがあげられる。1998年12月に「古都奈良の文化財」として、世界遺産に登録された。また2000年12月31日、平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて玄奘三蔵院「大唐西域壁画」を完成、注目を集めている。
蘇我馬子が建立したといわれる日本最古の寺院、飛鳥寺(法興寺)がその前身といわれている。かつては、南都七大寺の一つとして奈良市街の南西部を境内とする広大な寺院だったが、現在は極楽坊本堂と禅室を残すのみとなっている。本堂と禅室には建立当初の瓦が今もなお使われている。禅堂は天平時代の僧坊の形をとどめる貴重な遺構。収蔵庫には五重小塔(国宝)や聖徳太子坐像(重要文化財)を安置。中世〜江戸期の貴重な庶民信仰資料なども収蔵されており、中世以降庶民に支えられてきた歴史を物語る。
□薬師寺
天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を願い造営が始められ、藤原京に完成。平城遷都に伴い、養老2(718)年、現在地に移築されたと伝わる。
奈良移転当初は金堂、東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、「竜宮造り」と呼ばれるほどの華麗さを誇ったこの寺も、16世紀に兵火に焼かれて灰となり、東塔(国宝)を残すのみとなった。創建当時の唯一の遺構である東塔は、現在に白鳳時代の様式を伝えている。
現在、伽藍復興により、昭和51年の金堂に始まり、昭和56年に西塔が、以後、中門、回廊などの白鳳伽藍が次々と再建されている。朱塗りの欄干、金色に輝く鴟尾などからは、建立当時の華やかさを窺い知ることができる。
寺宝としては吉祥天女画像や薬師三尊像などがあげられる。1998年12月に「古都奈良の文化財」として、世界遺産に登録された。また2000年12月31日、平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて玄奘三蔵院「大唐西域壁画」を完成、注目を集めている。
2008年06月21日
奈良ガイド 世界遺産 奈良周辺2
□春日大社
和銅3(710)年、藤原不比等が平城遷都の際、藤原氏の氏神を祀ったのが始めといわれる。神護景雲2(768)年、今の地に社殿が造営され、現在のような規模が整ったのは平安時代前期のこと。境内には、朱塗りのあでやかな社殿が立ち、古来より藤の名所としても有名。また、境内には春日大社宝物殿があり、国宝・重要文化財520点を含む約3000点を収蔵、公開している。皇室の尊崇に加えて、庶民の信仰も厚かったため、数多くの灯籠が奉納された。一の鳥居(重要文化財)から春日灯籠が並ぶ参道を行くと、以前は万葉植物園と呼ばれていた春日大社神苑がある。園内には万葉集に登場する草花約300種が植えられており、ゆかりの万葉歌が添えられている。背後の春日山を包む春日山原始林は、春日大社の社叢として保護されてきたことで、太古の姿を現在に伝える。(国の特別天然記念物に指定)1998年12月に「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録された
□春日山原始林
春日大社の背山一体は、大社の神山として1000年以上も伐採が禁じられていたため、スギなどの大木が生い茂る原始林となっており山内には、モリアオガエル、ルーミスシジミ(天然記念物)など珍しい動物が生息している。1998年12月に「古都奈良の文化財」として、世界遺産に登録された。
和銅3(710)年、藤原不比等が平城遷都の際、藤原氏の氏神を祀ったのが始めといわれる。神護景雲2(768)年、今の地に社殿が造営され、現在のような規模が整ったのは平安時代前期のこと。境内には、朱塗りのあでやかな社殿が立ち、古来より藤の名所としても有名。また、境内には春日大社宝物殿があり、国宝・重要文化財520点を含む約3000点を収蔵、公開している。皇室の尊崇に加えて、庶民の信仰も厚かったため、数多くの灯籠が奉納された。一の鳥居(重要文化財)から春日灯籠が並ぶ参道を行くと、以前は万葉植物園と呼ばれていた春日大社神苑がある。園内には万葉集に登場する草花約300種が植えられており、ゆかりの万葉歌が添えられている。背後の春日山を包む春日山原始林は、春日大社の社叢として保護されてきたことで、太古の姿を現在に伝える。(国の特別天然記念物に指定)1998年12月に「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録された
□春日山原始林
春日大社の背山一体は、大社の神山として1000年以上も伐採が禁じられていたため、スギなどの大木が生い茂る原始林となっており山内には、モリアオガエル、ルーミスシジミ(天然記念物)など珍しい動物が生息している。1998年12月に「古都奈良の文化財」として、世界遺産に登録された。
2008年06月20日
奈良ガイド 世界遺産 奈良周辺
【古都奈良の文化財】は1998年に世界遺産として登録されました。唐などの影響を受けて、仏教建築が盛んに行われた地でもあり、数多くの寺院が世界遺産の一部として登録されています。平城京跡や春日山の原生林など、仏教木造建築とともに、限られた地域で現在でも存在しているというのは、世界の中でも珍しいと言われています。
□東大寺
天平13(741)年、仏教中心の国づくりを進めた聖武天皇の勅願により、総国分寺として建立。国力を注いだ事業である大仏建立は3年をかけ、天平勝宝4(752)年、開眼法要が盛大に営まれた。
治承4(1180)年、平重衡の南都焼き討ちによって大半の堂塔が焼失したが、すぐに重源の勧進で復興。
しかし永禄10(1567)年に松永久秀の兵火にかかり、再焼失した。現在の寺観は、江戸中期になって再現されたもの。境内には「奈良の大仏」として名高い盧舎那仏坐像が安置されている大仏殿(国宝)、東大寺創建当時の遺構を残す転害門(国宝)をはじめ、鎌倉時代復興の代表作である南大門、鐘楼、三月堂、二月堂(いずれも国宝)といった数多くの著名な建造物がたち並ぶ。
また、戒檀院の四天王像、南大門の運慶・快慶合作の金剛力士立像など天平時代や鎌倉時代を代表する優れた仏像の多くを見ることができるのも、東大寺の魅力の一つといえる。
□興福寺
京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山階寺が前身。飛鳥を経て、和銅3(710)年平城遷都に伴い、藤原不比等によって現在地に移転され、興福寺と名付けられた。以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄した。
奈良時代初期には四大寺の一つにあげられ、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めた。
治承4(1180)年の平重衡の南都焼討ちによって焼失した堂塔は、鎌倉時代に復興を遂げたものの、その後の相次ぐ失火や火災によって大半の建物を失った。
境内には光明皇后創建とされる興福寺五重塔(室町時代再建・国宝)、聖武天皇創建とされる興福寺東金堂(室町時代再建・国宝)、三重塔(鎌倉時代再建・国宝)、元明天皇・元正天皇創建とされる興福寺北円堂(鎌倉時代再建・国宝)の国宝建築物をはじめ、興福寺南円堂(江戸時代再建・重要文化財)、興福寺国宝館、中金堂などが立っている法相宗の総本山。また多くの天平時代の仏教彫刻の名品を多く保存している。
□東大寺
天平13(741)年、仏教中心の国づくりを進めた聖武天皇の勅願により、総国分寺として建立。国力を注いだ事業である大仏建立は3年をかけ、天平勝宝4(752)年、開眼法要が盛大に営まれた。
治承4(1180)年、平重衡の南都焼き討ちによって大半の堂塔が焼失したが、すぐに重源の勧進で復興。
しかし永禄10(1567)年に松永久秀の兵火にかかり、再焼失した。現在の寺観は、江戸中期になって再現されたもの。境内には「奈良の大仏」として名高い盧舎那仏坐像が安置されている大仏殿(国宝)、東大寺創建当時の遺構を残す転害門(国宝)をはじめ、鎌倉時代復興の代表作である南大門、鐘楼、三月堂、二月堂(いずれも国宝)といった数多くの著名な建造物がたち並ぶ。
また、戒檀院の四天王像、南大門の運慶・快慶合作の金剛力士立像など天平時代や鎌倉時代を代表する優れた仏像の多くを見ることができるのも、東大寺の魅力の一つといえる。
□興福寺
京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山階寺が前身。飛鳥を経て、和銅3(710)年平城遷都に伴い、藤原不比等によって現在地に移転され、興福寺と名付けられた。以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄した。
奈良時代初期には四大寺の一つにあげられ、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めた。
治承4(1180)年の平重衡の南都焼討ちによって焼失した堂塔は、鎌倉時代に復興を遂げたものの、その後の相次ぐ失火や火災によって大半の建物を失った。
境内には光明皇后創建とされる興福寺五重塔(室町時代再建・国宝)、聖武天皇創建とされる興福寺東金堂(室町時代再建・国宝)、三重塔(鎌倉時代再建・国宝)、元明天皇・元正天皇創建とされる興福寺北円堂(鎌倉時代再建・国宝)の国宝建築物をはじめ、興福寺南円堂(江戸時代再建・重要文化財)、興福寺国宝館、中金堂などが立っている法相宗の総本山。また多くの天平時代の仏教彫刻の名品を多く保存している。
2008年06月19日
奈良ガイド 聖徳太子
奈良と言えば欠かせない聖徳太子(574〜622)
皆さんもよくご存知ですが、
再度ご確認いただければ。。。
飛鳥時代の政治家、皇太子。用明天皇を父、欽明天皇の皇女穴穂部間人皇女を母とする。推古元(593)年、皇太子として叔母推古天皇の摂政となり、29年の間その地位を務めた。太子は摂政として天皇の政治を補佐し、蘇我氏と共同で政治・外交・文化等を行った。冠位十二階、憲法十七条の制定をし、官民の心得を示し、律令制の基礎固めを行った。遣隋使として小野妹子を派遣し、隋との国交を開き、大陸文化を採り入れ文化の向上に力を入れた。これが飛鳥文化と呼ばれている。また仏教の振興につとめ、四天王寺、法隆寺等を建立した。子には、山背大兄王をはじめとする八男六女がいる。大王を頂点とする集権国家体制の成立に力を入れたが、その政治思想は大化改新で実を結ぶことになる。死後、様々な伝説が生み出されている。
○聖徳太子創建7か寺(法隆寺・四天王寺・中宮寺・橘寺・広隆寺・法起寺・葛木寺)
○聖徳太子像を安置している寺(元興寺・橘寺・達磨寺・法隆寺 他)
□聖徳太子が登場する作品を抜粋しています。興味のある方はどうぞ!!
【小説】
黒岩重吾『聖徳太子 日と影の王子』上・下(文芸春秋、1987年)
黒岩重吾『斑鳩王の慟哭』(中央公論社、1995年)
町井登志夫『爆撃聖徳太子』(角川春樹事務所/ハルキ・ノベルス、2004年)
豊田有恒『崇峻天皇暗殺事件』(1987年、講談社)
豊田有恒『聖徳太子の叛乱』(1991年、コーエー)
【漫画】
ムロタニツネ象『聖徳太子 仏教伝来と法隆寺』(学習研究社/図解まんが日本史、1978年
山岸凉子『日出処の天子』(白泉社/花とゆめコミックス、1981年
池田理代子『聖徳太子』(創隆社、1992年-1994年)
滝沢解原作、ふくしま政美劇画『超劇画聖徳太子』(太田出版/QJマンガ選書、1999年)-所謂「カルト劇画」の一つ。
荻野真『夜叉鴉』(集英社/ヤングジャンプ・コミックス、1997年)
増田こうすけ『増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和』(集英社/ジャンプ・コミックス、2000年-)現在ジャンプスクエアにて連載中。パロディものである。
皆さんもよくご存知ですが、
再度ご確認いただければ。。。
飛鳥時代の政治家、皇太子。用明天皇を父、欽明天皇の皇女穴穂部間人皇女を母とする。推古元(593)年、皇太子として叔母推古天皇の摂政となり、29年の間その地位を務めた。太子は摂政として天皇の政治を補佐し、蘇我氏と共同で政治・外交・文化等を行った。冠位十二階、憲法十七条の制定をし、官民の心得を示し、律令制の基礎固めを行った。遣隋使として小野妹子を派遣し、隋との国交を開き、大陸文化を採り入れ文化の向上に力を入れた。これが飛鳥文化と呼ばれている。また仏教の振興につとめ、四天王寺、法隆寺等を建立した。子には、山背大兄王をはじめとする八男六女がいる。大王を頂点とする集権国家体制の成立に力を入れたが、その政治思想は大化改新で実を結ぶことになる。死後、様々な伝説が生み出されている。
○聖徳太子創建7か寺(法隆寺・四天王寺・中宮寺・橘寺・広隆寺・法起寺・葛木寺)
○聖徳太子像を安置している寺(元興寺・橘寺・達磨寺・法隆寺 他)
□聖徳太子が登場する作品を抜粋しています。興味のある方はどうぞ!!
【小説】
黒岩重吾『聖徳太子 日と影の王子』上・下(文芸春秋、1987年)
黒岩重吾『斑鳩王の慟哭』(中央公論社、1995年)
町井登志夫『爆撃聖徳太子』(角川春樹事務所/ハルキ・ノベルス、2004年)
豊田有恒『崇峻天皇暗殺事件』(1987年、講談社)
豊田有恒『聖徳太子の叛乱』(1991年、コーエー)
【漫画】
ムロタニツネ象『聖徳太子 仏教伝来と法隆寺』(学習研究社/図解まんが日本史、1978年
山岸凉子『日出処の天子』(白泉社/花とゆめコミックス、1981年
池田理代子『聖徳太子』(創隆社、1992年-1994年)
滝沢解原作、ふくしま政美劇画『超劇画聖徳太子』(太田出版/QJマンガ選書、1999年)-所謂「カルト劇画」の一つ。
荻野真『夜叉鴉』(集英社/ヤングジャンプ・コミックス、1997年)
増田こうすけ『増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和』(集英社/ジャンプ・コミックス、2000年-)現在ジャンプスクエアにて連載中。パロディものである。
